「女性も社会に出て自立し、キャリアを形成する時代」
「家事や育児は効率化や外部サービスを活用し、スマートに両立する」
女性の社会進出や多様な働き方が推進される現代において、こうした言葉は一見すると女性の選択肢を広げる前向きなメッセージに聞こえます。
しかし、実際に起業をして働き、仕事と家庭を並行して回す中で直面したのは、単なる時間管理の問題ではなく、「一人の人間のリソースを超えている」という構造的な限界でした。
業務時間を確保するために外部サービスや専門家の手を借りたものの、費用の負担や手配・管理に伴うコストにより、結果として別の負荷を一人で抱え込むことになりました。
なぜ、自立を目指して努力を重ねれば重ねるほど、私たちは解決しがたい「生きづらさ」や「負荷」を抱えてしまうのでしょうか。
本記事では、実体験に基づくリアリティと社会学がジェンダー論で指摘される「新・性別役割分担」という言葉を通して、自立を目指す女性たちが直面する構造的な仕組みについて考察します。
外部委託によって浮き彫りになった「家事労働の本当の価値」
起業当時、私は事業に集中するための時間を確保する目的で、家事代行サービス、ベビーシッター、家庭教師などを積極的に活用していました。
「家事を頼むのは抵抗があるけれど、時間を捻出するために、お願いできる部分はプロの手に委ね、自分は仕事に集中しよう」と、割り切っていたつもりだったのです。
しかし、実際に運用を開始して突きつけられたのは、想像以上に大きい経済的・管理的なコストでした。
毎月積み重なる外注費用は想像をはるかに超え、稼いだお金がどんどん消えていく現実。「仕事をするために稼いだはずのお金が、そのまま家庭を回すために消えていく」という、本末転倒な状態に陥っていたのです。
お金を払ってプロに頼むことで、たしかに家事そのものの作業からは解放されたものの、毎月飛ぶように出ていく費用を賄うために、さらに仕事を頑張らざるを得ないという循環が生まれていました。
また、この経験を通じて明確になったのは、従来家庭内で「無償労働(アンペイド・ワーク)」として処理されてきた家事や育児が、実際には非常に高い市場価値と労力の上に成立しているという事実でした。
普段は家庭の中で「当たり前」として無償でこなされ、見えなくなりがちな家事やケア労働。
それが社会的にどれほど高い価値を持ち、どれだけのコストと労力の上に成り立っていたのかを、費用という形を通して身をもって実感することになったのです。
2. 個人の努力や効率化では超えられない限界
さらに本質的な問題だったのは、事業を動かしていく重みだけでなく、「家庭生活を維持・管理するためのタスクの多さ」や「その費用負担等」を、すべてひとりで背負って走り続けなければならないという現実でした。
独身期と同等の基準で自己のパフォーマンスを測り、「時間管理や効率化を突き詰めれば解決できる」と自らを追い込んでも、そこにはどうしても埋められない限界がありました。
結婚し、家庭や子どもの生活基盤を維持する役割を担う生活は、どれほど手際を良くしたとしても、最初から一人で完結させるには不可能な構造となっていたのです。
個人の工夫や根性論で乗り切ろうとするほど心身が疲弊していくのは、ごく必然的な結果であったのかもしれません。
「新・性別役割分担」という構造的課題
大学院で社会学やジェンダー論を学ぶ中で、この体験の背景にあった正体が明確になりました。それが「新・性別役割分担」です。
かつて伝統的なの性別役割分担は、「男性=主たる生計維持者」「女性=専業主婦」という明確な分業構造をとっていました。これに対し、現代において生じているのが「新・性別役割分担」と呼ばれる構造です。
一見すると、女性の社会進出が進み、選択の自由や男女平等が実現されたかのように見えます。
しかしその実態は、「家庭内のケアや生活維持の最終責任は女性側に残されたまま、労働力として社会でも成果を出すことが求められる」という、負担の二重構造(ダブルバインド)の構造です。
外注サービスを利用する判断や手配の責任も女性側に偏りがちであり、その費用を捻出するために、さらに仕事を頑張らざるを得ないという循環が生まれます。
そして、個人としての限界を超えたとき、多くの女性が選ばざるを得なくなるのが、「仕事をセーブし、家庭を優先する」という決断です。
その結果として、「労働時間の短縮」➔「収入の減少」➔「長期的なキャリア形成の阻害」 という不可避なプロセスへと引き込まれていきます。
これは決して、「女性個人のモチベーションの低下」や「自発的な選択」などではなく、社会構造によって「そうせざるを得ない道へ追い込まれている」という社会的現実を示しています。
個人の課題から「構造の認識」へ
「家事と仕事を完全に両立すること」も、「スマートに外注や効率化で乗り切ること」も、実はどちらも「個人の努力とコスト負担」に依存している点では変わりありません。
両立の限界に直面したとき、多くの女性は「自分の処理能力が足りないのではないか」「両立のやり方が悪いのではないか」と自己責任として抱え込みがちです。
しかし、サービスを活用するにも相応の経済的・精神的コストが継続的に発生するため、個人の努力のみで解決することは構造的に簡単なことではありません。
つまり、このしんどさは個人の能力の欠如によるものではなく、社会の構造そのものが抱える不均衡からきているのです。
「自分の頑張り」や「さらなる効率化」で解決しようと焦るのをいったん止め、この不均衡な構造を客観的な視点で見つめ直すこと。それこそが、過度な罪悪感や負担感から解放され、自身の生き方やキャリアの選択を主体的に取り戻していくために不可欠なステップになるのだと思います。

